1939年、後の数学者ジョージ・ダンツィーグ(George Dantzig)は当時カリフォルニア大学バークレー校に所属する大学院生だった。
ある日の講義に遅れて参加したダンツィーグは、そのとき黒板に2つの問題が書かれているのを見つけた。彼はそれらが宿題として出されたものだと思って書き写し、持ち帰って解くことにした。
問題はいつもより少し難しく感じ、解くのに時間がかかったのだが、なんとか解き終え、数日後教授のイェジ・ネイマン(Jerzy Neyman)に時間がかかったことの謝罪と共に提出した。
すると、6週間後の朝、突然家の玄関を叩く誰かに起こされた。それはネイマンであった。
ネイマンは興奮しながら「君の論文の1つの導入が書けた。確認してくれたらすぐに提出できるよ」といったが、ダンツィーグには何のことだかさっぱりわからない。
実は、ダンツィーグが宿題だと思って持ち帰った問題は、教授が例として紹介しただけの、統計学において当時未解決の問題であり、ダンツィーグはそれらを知らずに解いてしまっていたのだ。
この映画のような話は、教訓めいた話や、脚色され都市伝説としても広められたり、映画『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』の題材にされたりもしているが、上で述べた一連の出来事は事実であり[1]、その結果は論文[2]として発表されている。
その後学位を得たダンツィーグは数学者として活躍し、シンプレックス法と呼ばれる線型計画問題を解くアルゴリズムを提案するなど、産業工学、オペレーショナル・リサーチそしてコンピュータサイエンスなど幅広い分野の発展に貢献した。
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