高エネルギー粒子加速器に頭を突っ込んだらどうなるだろう? その答えを身を持って知っている男が世界に一人だけ存在する。
1978年7月13日,当時ソビエト連邦で最大の粒子加速器であるU-70で働いていたアナトーリ・ブゴルスキー(Anatoli Bugorski)は,U-70に問題が生じたため,装置の中に頭を入れて点検をしていた。
しかし,そのとき装置は稼働したままであり,運悪く,警報装置も前の実験でスイッチをオフにされたまま元に戻されずにいた。 そのことを知らないで作業をしていたブゴルスキーは,超高速の陽子ビームに撃ち抜かれてしまった。 陽子ビームは彼の後頭部を貫き,鼻の左側を抜けていった(トップ画参照)。 ブゴルスキーによると,彼はそのとき痛みは感じなかったが,「千個の太陽よりも明るい(brighter than a thousand suns)」光を見たという。
ちなみに,メタルバンドのIrom Maidenが『Brighter Than a Thousand Suns』という曲を発表しているが,これは原爆についての曲であり,原爆の父とも呼ばれるロバート・オッペンハイマー(Robert Oppenheimer)が原爆開発の際の心境を振り返って述べた有名なスピーチの一節
If the radiance of a thousand suns were to burst at once into the sky(もし,千の太陽の輝きが空に一斉に放たれれば)
That would be like the splendour of the Mighty One...(それはまるで全能者のごとき壮大さになるだろう)
I am become Death, the shatterer of worlds(われは死神なり,世界の破壊者なり)
に触発されたものである。
さて,事故を起こしたブゴルスキーのその後であるが,彼は即座に病院に向かうことはしなかった。 彼が病院に搬送されたのはその翌日で,その時顔の左側は膨れ上がり,顔が認識できないほどになっていた。 厳密な値はわかっていないが,彼が吸収した放射線の量は一般的な致死量の数百倍はあるといわれており,誰もが彼の死を予測していた。
しかし彼は一命を取り留めた。 そして,その後も研究を続けている。
ただ,明らかな事故の後遺症も残った。 まず彼は左耳の聴覚を完全に失い,不快なノイズが付きまとうようになった(きっとIron Maidenは彼の好みの音楽ではないだろう)。 また,彼の顔面の左半面は神経損傷により麻痺し,興味深いことに,右反面よりも老化が遅くなったという。
ソ連の原子力技術に関する方針によって情報を明かすことを禁じられたため,ブゴルスキーは数十年の間この事故の詳細を公に語ることはなかった。 そのため,この出来事が公表されたのは,チェルノブイリ原発事故の後になってからであるという。
参考
- https://www.iflscience.com/health-and-medicine/the-man-who-put-his-head-inside-a-particle-accelerator-while-it-was-switched-on/
- https://www.amusingplanet.com/2020/02/anatoli-bugorski-man-who-stuck-his-head.html
- https://medium.com/predict/the-man-struck-by-a-particle-accelerator-beam-ab829b2e1949
- https://qz.com/964065/this-is-what-happened-to-the-scientist-who-stuck-his-head-inside-a-particle-accelerator/
- https://historyofyesterday.com/the-man-who-survived-over-300-000-rads-53dc590a1094