フェルミのパラドックス

この広い宇宙には,膨大な数の恒星と,それらの周りを回る惑星が存在している。我々の属する天の川銀河の中だけでも,最大100億個の地球型惑星が存在するとも言われている。そして,観測可能な範囲にある銀河の数は,2兆個にも上る。

こうした数を考慮すれば,知的生命体が存在する惑星が宇宙で地球だけに限られるはずはないと思うのではないだろうか?

そう考えたのはあなただけではない。1950年,物理学者エンリコ・フェルミ(Enrico Fermi)も同じように考えた。そして彼は,宇宙の年齢や恒星の数(当時知られていた値は現在のものとは異なる)から,他の知的生命体が地球に到達しているはずであるという試算を得た。

しかし,ご存じの通り,現在に至っても,他の知的生命体が観測されたという信頼できる報告は存在していない。この見かけの矛盾は,フェルミのパラドックスと呼ばれる。

このパラドックスを説明するための考察は多くなされている。例えば物理的な観点からの考察の一つとして「他の知的生命体が存在したとしても,はるかに遠方に存在しており,彼らにとって現実的に利用可能な時間内には決して地球へ到達できない」という考察はもっともらしい。宇宙の膨張に加え,天体衝突やガンマ線バーストなど文明を一掃してしまうような破壊的事象も生じうることも考慮に入れれば,もっともらしさはさらに増す。

さらに,我々自身を顧みればわかるように,技術的な進歩の速度は知性(倫理観)の発達より十分速くなりうるため,技術の暴走により自ら破滅を招くということも考えられる。

しかし近年,フェルミのパラドックスの文脈に限らず,知性が十分発達するがゆえに,生命が自ら終焉を選択するというシナリオが盛んに議論されるようになっている。それも,平和的な終焉の手段である,繁殖をやめるという手段によって。


アンチナタリズム

この宇宙において,我々生命が存在することに本質的な意味はない。我々が今ここにいるのは,はるか昔に,自己複製の性質を持つDNA分子が,化学反応の結果偶然生まれたために過ぎない

自己複製の能力を持つ分子が環境中に置かれると,複製と複製ミスを繰り返し,少しずつ構造を変えながら,より複製の精度と効率が高い構造の分子が多く広まっていく。我々生物の身体も,その複製の効率と安定性を助けるために獲得された入れ物が複雑化したものに過ぎない。


我々が経験する痛みや悲しみや苦しみなどの負の感情も,DNA分子の複製を助けるために獲得されてきた機能の一側面である。こうした自然淘汰のルールに拘束されている限り,我々は決して満足することも幸福になることもありあえないことがわかっている。ただ,満足することや幸福になることを求めて,混乱を増やしているだけなのである。

こうした観点から見れば,繁殖という行為もその混乱を増やす行為の一つに過ぎないことがわかる。意味も目的もないにもかかわらず,永遠に満足することはなく,必ず喜びより多くの苦しみを生み出す競争を,世代を経て継続させているだけなのである。

そうすると,理性的に思考できる我々が取るべき最良の選択は,これ以上繁殖することをやめ,平和的に絶滅することだという結論に至る。これが,アンチナタリズムと呼ばれる思想の一形態である。

しかし,こうした競争を続けるために最適化されてきた我々には,この競争自体を不合理に美化し存続させようと働きかける種々のバイアスが備わっている。哲学者トーマス・メッツィンガー(Thomas Metzinger)は,今後誕生することになるだろうと議論されている,人類よりはるかに知能の高い人工超知性が実際に開発されたら,こうしたバイアスを乗り越え,物事をありのままに認識できる彼ら人工知能は,地球上のすべての(知覚ある)生命にアンチナタリズムを適用するだろうという思考実験を提示している。

このことがフェルミのパラドックスにどうつながるかは明らかだろう。そう,バイアスを乗り越えられるほど知的に発達した生命は,生命の営みの無意味さと悲惨さに気づき,自ら絶滅を選択するため,決して地球には到達しないだろうということだ。

この考察が正しいかはわからない。しかし,この惑星の上でもアンチナタリズムは着実に支持を増やしている。そしてまた,教育レベルが高い人ほど子供を作らない選択をする傾向にあることも研究で示唆されている。

どうして知的な宇宙人は地球にやってこないのだろう?と疑問に思っていること自体が,まだ我々の知性が十分でないことの表れなのかもしれない。

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