集合論の発展に伴って,無制限な内包公理(axiom of unrestricted comprehension)が原因で,様々なパラドックスが生じることがわかってきた。そのうちの代表的なものが,以下で説明するRusselのパラドックスである。
集合論の素朴な見方では,「集合」という概念は日常的な感覚の通り,「ものの集まり」を指している。集合論の創始者であるGeorg Cantorも,集合という概念を次のように定義している。
集合とは,我々の直感や思考の対象となる明確に区別されたもの(objects)$m$を,一つにまとめたもの$M$のことであると理解する。
これは,一つの公理(正確には公理図式)として,以下のように焼き直せる:
ある条件$\varphi(x)$について,それを満たす$x$からなる集合$\{ x \ | \ \varphi(x) \}$が存在する。
しかし,集合論の発展に伴って,この無制限な内包公理(axiom of unrestricted comprehension)が原因で,様々なパラドックスが生じることがわかってきた。そのうちの代表的なものが,以下のRusselのパラドックスだろう。
このパラドックスは,「自分自身を要素としない集合全てから成る集合」というものを考えると生じる。 この集合は
と表現できる。
さて,集合$R$は自分自身に含まれるだろうか? もし$R \in R$,すなわち$R$自身も$R$の要素とすると,自身を要素として含まない集合という定義(\ref{eq:Rus})に矛盾する。 一方,$R\notin R$,すなわち$R$は自身を要素として含まない集合としても,結果的に$R$の定義に当てはまってしまうため,矛盾する。
先に述べたように,この矛盾は,集合という概念を一般的に定義しすぎたことに由来しており,そういった問題を避けるため,集合論を厳密な公理系として再構築する試みがなされた。
現在,標準的な公理系とみなされているのが,ZFCと呼ばれる体系である。そのうち,無制限な内包公理に対応するのが,以下の分出公理(axiom of specification)あるいは,内包公理図式(axiom schema of restricted comprehension)と呼ばれるものである。
分出公理は,論理式で表せば
となる。
この分出公理は,すでに集合とみなされている$X$の元であり,かつ条件$\varphi(x)$を満たす元によって集合
が構成できるということを述べている。
(\ref{axiom:spec})において$A=x$とし,条件を自分自身を元として含まないこと:$x \notin x$とすると
となる。
これは,もし$x\in X$であれば,$x \in x$となるのは$x \notin x$の場合であるということを意味しているが,これは先に議論した通り明らかな矛盾である。 しかし他の公理を含めた現在の枠組みでは,$x \in X$であるような$X$は存在しないと結論づけることで,パラドックスを回避することができ,このような$x$は集合ではないということが示される。
共通の性質を持つ元の集まり$\{ x \ | \ \varphi(x) \}$をクラス(class)といい,今扱ったようなクラスだが集合でないようなものは真のクラス (proper class) と呼ばれる。