ERP論文

Dr. SSS 2020/10/18 - 21:55:40 量子力学
はじめに

1935年,Einstein,Podlosky,Rosenは『Can Quantum-Mechanical Description of Physical Reality Be Considered Complete?(量子力学の物理的実在の記述は完全か?)』と題した論文を発表した。 この論文は著者の名前の頭文字から,EPR論文と呼ばれる。

EPR論文の趣旨は,波動関数による物理的実在の記述は完全ではなく,したがって波動関数に基づく量子力学は不完全な理論であるという主張である。 論文の執筆はPodolskyによって行われ,内容の出来栄えはEinsteinの満足のいくものではなかったようで(Fine 1986),確かにこの論文だけからはその趣旨が汲み取りづらい部分もあるが,この点は時代的にその前後に行われた議論によって補うこともできる。 そしてまた,結局のところここで展開される議論には後に決定的な反論が加えられるのであるが,量子力学の発展に大いに貢献するものであったとともに,量子力学の特質を縁取るものでもあるため,この論文は未だにフィーチャーされることが多い。 ここでは,このEPRの原論文の内容を解説を加えて紹介する。


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内容

実在と完全性

EPR論文の主張は,波動関数は同時に,例えば位置と運動量のような,互いに交換しない2つの物理量の固有関数になることはできないが,波動関数による系の記述が完全であると仮定すると,特定の状況下でこれと矛盾する結果を導くことができるため,波動関数による記述は完全ではない,というものだ。

論文ではまず,議論の主題となる完全性(completeness)実在(reality)についての定義が与えられる。 まず,完全な理論の条件は

every element of the physical reality must have a counter part in the physical theory.
すべての物理的実在の要素に対応するものが,その物理理論の中に含まれなければならない

と与えられ,その物理的実在とは

If, without in any way disturbing a system, we can predict with certainty (i.e., with probability equal to unity) the value of a physical quantity, then there exists an element of physical reality corresponding lo this physical quantity.
もしいかなる形でも系を乱すことなく,ある物理量の値を確実に(すなわち確率1で)予測できるなら,そのとき,この物理量に対応する物理的実在の要素が存在する。

と定義される。


波動関数による記述と基本的前提

量子力学の基本となるのは,系の状態を記述するとされる波動関数$\psi$である。 また観測される物理量$A$に対応して,演算子$\hat{A}$が存在する。 そして,波動関数$\psi$が演算子$\hat{A}$の固有関数であれば

\begin{align} \hat{A}\psi =a\psi \end{align}

となる。 ここで$a$は演算子$\hat{A}$の固有値で,物理的には物理量$A$の値となる。 つまり,粒子が$\psi$で記述される状態にあるときはいつでも,物理量$A$の値は確実に$a$であることになる。

量子論においては,位置と運動量のような交換しない2つの演算子で表される2つの物理量の一方に関する知識を得ることは,もう一方に関する知識を得ることを排除してしまう。 もし,2つの交換しない物理量が共に実在であるとすると,これらは現実の完全な記述に含まれる。 他方,波動関数が完全な記述を与えるのであれば,波動関数はこれらの2つの量の値を含み,したがってまたこれらの量の値は予測可能であるはずである。 だがこれは成り立たない。 となれば量子論が正しいとすると,次のうちのどちらかである。

  1. 量子論の波動関数による実在の記述は完全ではない。
  2. このような2つの物理量は同時には実在しえない。

これが,EPRが据える基本的な前提である。




EPR思考実験

このことを具体的に示すために,次のような思考実験が検討される。 過去に互いに相互作用をしていたが,ある時刻以降は相互作用しないように引き離された2つの粒子からなる系を考える。 このような系の状態は一般に

\begin{align} \label {eq:Psi12_a} \Psi(x_1,x_2) = \sum_n \psi_n(x_2)u_n(x_1) \end{align}

という形の波動関数で記述できる。 ここで$x_1$と$x_2$はそれぞれ粒子1と2の状態を記述する変数で,$\psi_n(x_2)$は基底$u_n(x_1)$に対する係数である。 また,$n \geq 2$とする。 基底の選択には測定する物理量に応じた任意性があるため,例えば同じ状態を別の基底$v_s(x_1)$を用いて

\begin{align} \label {eq:Psi12_b} \Psi(x_1,x_2) = \sum_s \phi_s(x_2)v_s(x_1) \end{align}

と表すこともできる。 ここで$s \geq 2$とする。 現在の言葉では,(\ref{eq:Psi12_a})や(\ref{eq:Psi12_b})のように,複数粒子からなる系の状態が個々の波動関数の直積($\psi_1 \psi_2$のように個々の粒子の波動関数の単一の積)で表せないとき,それらの粒子はエンタングルしているという。

EPR論文では具体例として,全運動量が$0$,位置の差$x_2-x_2$が$x_0$である2粒子系が考えられる。 これらの粒子は過去に相互作用をしていたが,「もはや2つの部分にはいかなる相互作用もない(there is no longer any interaction between the two parts)」ことが仮定される。 運動量を測定するとすると,その値が連続的であるとすれば,このような状態は(\ref{eq:Psi12_a})の連続的な形として次のような波動関数で記述できる

\begin{align} \Psi(x_1,x_2) =\int_{-\infty}^\infty \psi_p(x_2) u_p(x_1) dp \end{align}

ここで

\begin{align} u_p(x_1)=e^{\frac{i}{\hbar}x_1p} \end{align}

および

\begin{align} \psi_p(x_2)= e^{\frac{i}{\hbar}(x_2-x_0)p} \end{align}

つまり

\begin{align} \Psi(x_1,x_2) =\int_{-\infty}^\infty e^{\frac{i}{\hbar}(x_1-x_2-x_0)p}dp \end{align}

である。 このとき,粒子1の運動量を測定して,その値が$p$であったなら,粒子2の運動量が$-p$であることが確実にわかる。

他方,1つ目の粒子の位置を測定するとすると,波動関数は

\begin{align} v_x(x_1)=\delta(x_1-x) \end{align}

および

\begin{align} \varphi_x(x_2)=\delta (x_2-x-x_0) \end{align}

とし

\begin{align} \Psi(x_1,x_2) =\int_{-\infty}^\infty \varphi_x(x_2) v_x(x_1) dx \end{align}

であり,粒子1の位置が$x$であれば,粒子2の位置が$x+x_0$であることが確実にわかる。

運動量を測定するか位置を測定するかは自由であり,1つ目の粒子と2つ目の粒子には一切の相互作用がないのだから,粒子2の運動量と位置はどちらも確定した値を持っていたと考えられる。 つまり,粒子2に関するこれらの量は,「系を乱すことなく,値を確実に予測できるなら,この物理量に対応する物理的実在の要素が存在する」という物理的実在の定義に当てはまる。 よって,波動関数による記述が完全であるとすると,非可換な2つの物理量が同時に実在を持つということになり,矛盾が生じる。 したがって,量子論が完全であるという仮定は間違いであるということが結論付けられる。 EPRはこれをもって,我々がまだ知らないだけで,物理量の値を確実に予測するために必要な変数,すなわち隠れた変数(hidden variables)が存在する可能性を支持する根拠とした。


その後の展開

上の議論は,遠く離れた2つの粒子の一方を測定しても,それによってもう一方の粒子に何らかの物理的影響を与えることはない,という局所性(locality)と呼ばれる仮定に基づいている。 この仮定は「測定の瞬間,2つの系はもはや相互作用をしていないため,1つ目の系に何が行われた結果としても,2つ目の系に実際的変化が生じることはあり得ない(since at the time of measurement the two systems no longer interact, no real change can take place in the second system in consequence of anything that may be done to the first system.)」という一文で表されている。

しかし,後にJohn Stewart Bell(1964)により,こうした局所的な隠れた変数理論と量子力学を区別する基準が与えられ,それを検証する実験により,局所的な隠れた変数理論の存在は否定され,EPRが考えたような矛盾は存在しないことが示されたというのが現在での通常の認識となっている。 同様の理由から,例え量子力学に代わる隠れた変数理論が存在するとしても,非局所的な性質からは逃れられない。 それでも,EPR論文は,それを発端とする議論により量子論の本質的特性についての理解がより明確になったという理由で,量子力学の歴史における特に重要な論文の1つとみなされている。 隠れた変数の存在を巡る理論と実験の解説は別の記事で行おうと思う。


参考文献

  • Bell, J. S. (1964). On the Einstein-Podolsky-Rosen paradox. Physics, 1(3), 195.
  • Einstein, A., Podolsky, B., & Rosen, N. (1935). Can quantum-mechanical description of physical reality be considered complete?. Physical review, 47(10), 777.
  • Fine, A. (1986).The Shaky Game: Einstein, Realism and the Quantum Theory.  Chicago: University of Chicago Press.

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