物理学においては,問題が然るべく設定されたということは九分通り解答を手にしたことに相当するが,その意味で熱力学は,カルノーの発表したそのたった一篇の論文に始まり,かつその論文によって九分通り土台が作られたと言っても過言ではない。1824年に僅少部数出版された118頁の小冊子『火の動力』がそうだ。
―山本義隆, 熱学思想の史的展開2
ClausiusやThomsonの研究を触発し,熱力学の土台構築に大きな貢献を果たしたCarnotの研究について解説する。 Carnotは,作業物質(気体なのか液体など,熱を伝える物質)や,作業の詳細によらない熱の普遍的な性質を探求し,熱機関の効率の理論的な上限を導き出した。
熱機関の効率に関するSadi Carnotの議論は,彼の父Lazare Carnotによる,水車の仕事効率に関する研究から洞察を得たといわれている。 Lazare Carnotは次のように議論した。 水を激しく流し込み,その勢いで水車を回そうとすると,水と装置との衝突によりエネルギー損失が起こる。 また,水に余剰な速度があると,運動エネルギーを残したまま排水されることになり,その分なしえた仕事が無駄になる。 そのため,水車の上部と下部の高さを利用し,重力によって回転させる方が効率が良くなる。 すなわち,できるだけ大きくゆっくりと回転する車輪の最上部から,車輪の回転速度に合わせて水を流し込み,できるだけ下部で水を排出することが,水車の効率を最大化する方法であると。
Sadi Carnotはこの水車とのアナロジーから,熱機関の効率に関して次のように考えた: まず,上述の方式で水車を回すのに高度差が必要なように,熱を仕事に変えるには,熱源となる高温部分だけでなく,それとの温度差を生む低温部分が必要である。 これは熱を利用する上で非常に大きな制約となる。 そして,水車の最上部から水を流し込むことと対応し,高熱源から熱を受け取る際は,系は理想的には高熱源と同じ温度$\theta_H$を保ったままでなくてはならない。 厳密にいえば,系の温度が熱源の温度よりも低くなければ熱は流れないが,上の要請は,その差が無視できるほど十分小さいことを意味するものと理解される。 低熱源への熱の放出も同様に,上の意味で系の温度を低熱源の温度$\theta_L$と同じにし,温度一定のまま行われなくてはならない。 また,損失を最小にするには,状態変化の過程を無限小にゆっくりにしなければならない。
ところで,熱機関が作業を継続させるには,熱を投入して仕事をさせた後,元の状態に戻さなければならない。 $\theta_H$から$\theta_L$への変化およびその逆は断熱的な膨張および圧縮によって実現できる。 したがって,理想的な機関は,準静的な等温過程で温度$\theta_H$の熱源から熱を受け取り,準静的な断熱膨張により温度を低熱源の温度$\theta_L$まで下げたところで熱を吐き捨て,また準静的断熱圧縮により温度$\theta_H$の状態に戻すというサイクルから構成される。 このように準静的な過程から構成される熱機関をCarnot機関といい,その一巡の変化をCarnotサイクル(Carnot cycle)という。
準静的過程では系が常に平衡状態にあるとみなせるということは,その変化の道筋を状態変数で張られる空間上の曲線として表せるということである。 よってCarnotサイクルは,次のように圧力$P$と体積$V$を座標とする空間上に次のような曲線として図示できる($P$-$V$図)。
図1:Carnotサイクルの$P$-$V$図。
図中の4つの曲線は,それぞれ次の仮定に対応する:
このサイクルで行われる仕事は
であり,図形$ABCD$の面積に対応する。
準静的過程から構成されるCarnotサイクルは,逆方向への運転,すなわち逆サイクルが可能である。
順サイクルが,高温源から熱$Q_H$を受け取り,外に仕事$W=Q_H-Q_L$を行い,高温源に$Q_L$を捨てるというものであったのに対し,逆サイクルは,外から仕事$W$を行うことで,低温源から熱$Q_L$を吸収し,高温源に熱$Q_H=Q_L+W$を放出する。
このように,低温部分から高温部分に熱を移す技術を一般に,ヒートポンプ(heat pump)という。
与えられた熱源の間で,最大の効率を持つのがCarnotサイクルであるということは,Clausiusによる次の議論によって示される。 議論のおおもとはCarnotによるものであるが,熱力学第一法則の確立以前であったCarnotの議論には,エネルギー保存則についての不正確な認識に基づく誤りが含まれていた。 彼はその論文を書いた時点で,熱を水車における水と同様,保存するものと考えていた。 それを修正したのが,Clausiusの議論である。
2つの熱源の間に,Carnotサイクル$C$と,任意の熱機関$C'$を設置する。 $C'$を運転し,高熱源から熱$Q_H$を奪って仕事$W'$をし,低熱源に$Q_L'$の熱を捨てる。 今度はCarnotサイクル$C$を逆運転させ,仕事$W$を行うことで低熱源から熱$Q_L$をくみ上げ,高熱源に熱$Q_H$を捨てさせる(図2)。 この一連の過程で$C$と$C'$による複合機関が外にした正味の仕事は
低熱源に捨てられた正味の熱は
である。 一方,それぞれの機関に着目すれば,$W=Q_H-Q_L$および$W'=Q_H-Q_L$が成り立つから,(\ref{eq:wtot})に代入して(\ref{eq:qtot})を用いると
となる。
図2:複合Carnotサイクル
さて,ここで熱機関$C'$の効率$\eta'$がCarnotサイクルの効率$\eta$よりも大きかったらどうなるかを考えよう。
であるから,$\eta'>\eta$ということは
ということである。 これは
であることを意味する。 すなわち,複合機関は低熱源から熱$Q_L-Q_L'>0$をくみ上げ,外部に仕事$W'-W>0$をし,元の状態に戻るということになる。 これは,Clausiusの主張に反する。 よって
であり,任意の熱機関の効率$\eta'$がCarnot機関の効率$\eta$を上回ることはない。
もし,機関$C'$もまたCarnot機関であれば,複合機関全体を逆運転できる。 このとき,$C$と$C'$の役割がすべて入れ替わるから
という結果が得られる。 (\ref{eta_engines1})および(\ref{eta_engines2})から
であることがわかる。 つまり,2つのCarnotの機関の効率は等しい。
今,熱源の温度と,$C$および$C'$はCarnot機関であるということ以外何も指定していない。 よって,与えられた熱源に対し,熱機関の最大効率はCarnotの効率によって与えられる。 また,作業物質や作業の詳細によらずすべてのCarnot機関は同じ効率を示す。 これを,Carnotの定理と呼ぶ。
熱源は温度によって特徴づけられるから,これは,Carnotサイクルが熱源とやり取りする熱の比$Q_H/Q_L$が,熱源の温度だけの関数
として与えられることを意味している。
Clausiusが,Carnotの研究から熱の普遍的な性質を導きだそうとしたのに対し,Thomsonは,温度という物理量に普遍的な基準を与えられる可能性を見出した。
関数(\ref{eq:function_of_theta})の関数形をもう少し調べてみよう。 図3のように,3つの熱源の間に2つのCarnotサイクルを働かせる。 あるいは,Carnotサイクルを2段階に分割したともいえよう。 すなわち,1つ目のサイクルは,温度$\theta_2$の熱源から熱$Q_2$を吸収し,温度$\theta_1$の熱源に熱$Q_1$を捨てる。 そして,2つ目のサイクルが,温度$\theta_1$の熱源から熱$Q_1$を吸収し,温度$\theta_0$の熱源に熱$Q_0$を捨てる。 サイクルが稼働するためには,当然$\theta_2 > \theta_1 > \theta_0$である。
図3
すると,1つ目のサイクルについては
であり,2つ目のサイクルについては
である。 一方,全体として1つのサイクルとしてみた場合
である。
(\ref{eq:carnot_f02})を(\ref{eq:carnot_f01})で割ると
を得る。 左辺は$\theta_0$に独立な関数であるから,右辺も$\theta_0$に独立なはずである。 したがって
とできる。 $g$が定義できる範囲で,任意の$\theta_2>\theta_1$に対し,$g(\theta_2)>g(\theta_1)$でないといけないから,$g$は$\theta$の増加関数である。
そこで,Thomsonは$\Theta\equiv g(\theta)$,すなわち
によって,熱力学的温度(thermodynamics temperature)$\Theta$を定義することを提唱した。 これは,Carnotの定理より作業物質によらないものであるため,理想気体温度が欠いている普遍性を備えている。 その意味で,絶対温度(absolute temperature)とも呼ばれる。 ただし,(\ref{eq:kelvin_temperature_ratio}) からは2つの温度の比しか定まらず,温度スケールを決定するには基準点を定める必要がある。 2019年までは水の3重点(氷,水,水蒸気が共存する温度)を
とすることで定められていた。 単位は,Thomsonの後の称号より,Kelvin(K)で表される。 基本単位の再定義が行われて以降は,後に導入するBoltzmann定数を用いた定義に変更されているが,新しい定義に基づいて測定しても,水の3重点の温度が$273.16$Kであることには変わりない。 こうして基準点を決めれば
により,任意の温度を決定できる。
Carnotサイクルにおいて,熱源とやり取りする熱の比が,熱源の温度の比のみの関数となることを,理想気体を用いて確かめてみよう。 Carnotサイクルの効率は作業物質によらないから,それによって得られる結果は一般的な結果とみなすこともできる。 ここでは,温度を理想気体温度$T$で測るとする。
理想気体の内部エネルギーは,温度のみの関数なのであった(コチラ)。 したがって,等温過程における内部エネルギーの変化はゼロであり,熱力学第一法則より,その過程の間で系が外部にした仕事$W$と吸収した熱$Q$は等しくなる。 よって,温度$T_H$の高熱源から準静的な膨張により熱$Q_H$を吸収し,状態$A$から$B$に移るとすると,$Q_H$は,この際に系が外になす仕事に等しく
である。 同様に,温度$T_L$の低熱源に捨てる熱は,状態$C$から$D$に移る際に系がなされる仕事に等しく
ここで,断熱準静変化の関係式$TV^{\gamma-1}$より
であるから
が成り立つ。 これより,理想気体温度$T$と熱力学的温度$\Theta$の間には
の関係が成り立つこと,すなわち
であることがわかる。 基準点を$T_0=\Theta_0$と一致させれば
となり,2つの温度スケールは
と完全に一致する。 以下,温度といえば絶対温度を指すものとし,記号$T$を用いて表すこととする。