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    熱力学第零法則と経験温度

    Dr. SSS 2023/06/06 - 13:28:08 1558 熱・統計力学
    はじめに

    前項でいくつかの状態量の例を挙げた。 そのうち,圧力や体積といった量はわかりやすい。 圧力は力をそれが作用する面積で割った力学的な量であるし,体積も直接測定可能な幾何学的な量である。 では,温度とはどのような量であろうか。

    温度は,熱さや冷たさという感覚を量化した概念である。 温かい飲み物を放置しておくと自発的に環境と同じ温度まで冷めていく。 このとき,温度低下とともにエネルギーの減少が起こっていることも確かめられる。 力学的仕事や電気的仕事なども確認できない状況でのこのようなエネルギーの移動を人々は熱と呼んできた。 熱や,それと関係して系が示すこうした自発的かつ一方向的な変化こそ,熱力学の主たる関心の対象であり,温度というパラメータがそこで重要な役割を果たしていることが強く示唆される。 しかし,感覚や直感だけを頼りにしてもまともな議論はできない。 そこで,我々の素朴な感覚ではなく,客観的な指標を用いて測定できるような温度の定義が必要である。

    こうした動機に基づいて,熱力学的温度と呼ばれる物理量が導入されるのだが,熱力学的温度を導入するための議論にはいくつかの流儀がある。 ここでは,ひとまず経験的な温度を導入して,熱力学に関する基本的な議論を可能にした後,議論を進める過程で熱力学的温度を定義するという伝統的なアプローチを取る。 この節では,その経験温度の導入を行う。


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    熱力学第零法則

    温度やその変化を客観的に示すものとして古くから認識されていたのは,温度変化に伴う気体や液体の体積変化,すなわち熱膨張である。 この熱膨張を利用して,気体や液体の体積から温度を測る温度計が一般的に利用されてきた。 このような温度計は,温度を測りたい物体に接触させて用いるのだが,これは物体と温度計を接触させて放置すると,両者の温度が等しくなるという経験的に知られた性質を利用している。 さらにいうと,温度は熱力学的平衡状態において一意に定まる量であるということが前提にされている。 よってこれらの性質をもう少し厳格に言い直すと,「温度は状態量であり,2つの熱力学的平衡状態に達した系$A$,$B$を接触させたまま放置すると,両者の温度は等しくなる」となる。 そして,このとき系$A$と$B$は熱平衡状態(thermal equilibrium)にあるという。

    しかし,温度計が有意味なものであるためには,次の性質も必要である。 すなわち,熱平衡にある$A$と$B$とは別の系$C$があり,$A$と$B$および$B$と$C$がそれぞれ熱平衡にあれば,$A$と$C$を接触させることなく$A$と$C$もまた熱平衡にあるといえる。 これを,熱力学第零法則(zeroth law of thermodynamics)という。 これが成り立たなければ,物体$A$と$B$の温度をそれぞれ計測した結果,温度計が同じ温度を示したとしても,物体$A$と$B$の温度が同じであるとは言えないことになってしまう。

    この法則も経験的には自明なことかもしれない。 しかし,現時点では得体の知れない熱と呼ばれるものと関係する温度という量を,経験から離れた客観的な物理量として定義するためその性質を調べているのであり,その観点からは必ずしも自明なものではない。 例えば化学反応を例にすると,ある系$A$と$B$および$B$と$C$それぞれが化学反応せず,平衡状態(化学平衡)にあったとしても,$A$と$C$を接触させたときに化学反応が起きるかもしれない。 熱平衡に関しては,このように物質に依存する性質ではなく,温度という共通のパラメータで指定できるということを明文化したのが,第零法則である。 未知の量や現象を理解するためには,こうして,一見自明と思われるようなことも入念に確かめた上で,本質的性質と思われるものを明確化していく必要がある。

    第零法則が明記されたならば,議論を反転させてこの根源的と思われる性質を基に温度を定義することもできる。 すなわち,温度とは,接触したまま長時間放置された2つの系が共通に持つものである,と。 このようにして,熱力学第零法則を基にして定められる温度を,経験温度(empirical temperature)という。



    温度計

    そういうわけで,熱力学第零法則により,上の議論における系$B$として,何らかの基準となる温度計を用意すれば,任意の系同士で温度の大小関係を比較できるようになる。 大小関係を量的に示すには,温度スケールが必要になるが,温度スケールの基準として日常的に用いられるのは,1気圧の下で水が凍るときの温度の値を0,沸騰するときの温度を100とし,その間を100等分したものである。 これをCelsius度(degree Celsius)といい,$^\circ$Cという単位で表す。 たとえば透明なガラス管に封入した液体(水銀や灯油など)の温度が0$^\circ$Cと100$^\circ$Cのときの体積$V_0$および$V_{100}$を100等分したものを目盛りとして定めれば,液体の体積が$V$の時の温度を

    \begin{equation} \label{eq:empirical_t} \theta = 100 \times \frac{V-V_0}{V_{100}-V_0} \end{equation}

    と決められる。

    ただし,物質によって温度に対する体積の変化率(熱膨張率)が異なるため,(\ref{eq:empirical_t})に基づく温度計は,温度が0と100の場合を除いて一般に用いる物質ごとに指し示す温度が異なる。 このように経験温度は物質に依存するため,普遍性を欠いているが,物質依存性が極力小さくなるよう温度計を設計できれば,ひとまず普遍的温度の代役を果たすことができる。


    参考文献